旧倉敷林薬局 1657年(明暦3年)に創業された薬局(現株式会社エバルス)は、1925年(大正14年)に林源十郎によって株式会社林源十郎商店が設立され、医薬品の卸や小売業が拡張されました。この建物は1934年(昭和9年)に建てられた木造3階建で、かつては倉敷駅からこの建物が見えたそうです。※現在、内部は一般公開はされていません。
倉敷代官所の窓格子 倉敷民芸の2箇所ある窓格子は、倉敷代官所西部にあった長屋のもので、1866年(慶応2年)倉敷浅尾騒動で戦火を免れた後、民家へ移築されました。2008年(平成20年)に住宅改装工事に伴って、ここへ設置されました。窓格子には騒動の痕跡と見られる鉛弾の跡が残っています。
原家住宅 原澄治が当主であった住居。倉敷紡績の専務や中国民報社(現在の山陽新聞社)役員などを務めた原澄治は、大原孫三郎の友人でもありました。大正7年から大正13年まで倉敷町長も歴任し、昭和35年に倉敷在住の第一号となる倉敷市名誉市民を受けています。※現在、内部は一般公開はされていません。
ぬめり岩 江戸時代初期、港町として栄えていた証にぬめり岩と呼ばれる海岸の岩が残っています。ぬめり岩は、雨が降り水分を含むと独特のぬめりが出ることからこの名前が付けられたといわれています。現在の児島、玉島、羽島などのように、土地名に島が付いていることにも名残りがあります。